本アカウントとサブアカウント

社会ではみな、形はどうであれうまく生きている人、生きづらいと感じている人のどちらかに分類されると思う。そして私はどちらかというと後者。

そこで今日は、マインドセットという1つの観点から自分が見た世界について話す。

まず、生きづらいと感じている人には共通している点がある。
それは仕事や学校など、器用さが必要とされる社会を本音と本心で過ごしているという点。

社会を本心で過ごすということは、場合に応じて自分を曲げる必要があり、それを続けていたら自尊心が擦り減るのは当然である。自分と向き合うことは必要だが。

次に上手く生きている人。
上手くやる人を間近に見ていると分かるが、プライベートで会う時と同僚として会う時でそれぞれ受ける印象が違う。彼らは本当の自分とは違った社会専用の自分を別に持っている。

社会では考え方の個性を求められてはいるが、性格としての個性は扱いやすさやミスの少なさなどの減点方式でしか評価されない。彼らはそれを理解している。だから社会に対して“本当の自分”を受け入れてほしいという欲を持たない、持っていても社会には求めないのである。

私は同僚に対しての不満を誰かに話し、「仕事だから」と片付けられる度にモヤモヤが募っていたが、「仕事だから」の本当の意味の理解に少し近付いた。
社会では彼らが全員のやりやすいようにある程度自分を殺して生きている、中には好き勝手して迷惑をかける人もいるが「あの人はそういう人」とスルーして上手くやっている。

生活のため、趣味のため、老後のため、お金を稼いで自分や家庭を守るため、最大の目的のために今の立場や場所を守って生きている。
そう考えられたら、目障りな人も小さく思える。
目的を達成するのに誰かを否定する余裕も必要もないからだ。

生きづらい側の私たちからすれば夢のない話だが、社会に適応した本アカウントのようなもう1つの自分と、心を許せる人たちだけに見せられるサブアカウントのような本当の自分を使い分ける事こそ、この社会をサバイブする術である。
と、しがない社会人0年生は思った。

いつも目的意識の大切さに戻ってくる。
私たちの幸せはだれかに受け入れてもらうことではない。